私達は 『おでん』 なのか?
つゆが染みた大根やタマゴは美味い
出汁で様々な具を煮れば、だいたい『おでん』と呼んで差し支えないらしい
『おでん』の面白さは、煮られたソレゾレが、同じ環境(鍋)の住人に影響を与え合うことである
練り物や揚げ物をタップリ入れると、味が逞しい
減らせばあっさり上品になる。そいつに辛口の日本酒を合わせるのもたまらない
ところで住人からすれば、人間はどういう存在なのだろう?
まず出会うことが無いモノ達が、人の意志によって『同じ環境』に投じられる
ダイコンさんやタマゴちゃんやちくわ様は、その出会いをどんな風に解釈するのだろうか?
人災は天災なのだろうか?
偶然として片付けてしまうのだろうか?
運命は『人の手によって操られたもの』なのだろうか?
その全てを自然現象や不運と呼ぶのだろうか?
とにかくカツオやら鶏ガラの汁で煮られゆく
出汁に素材の旨みが染み込み、練り物・揚げ物の油が溶け込む
パワーアップした出汁がダイコンを『人間好み』に変えていく
多様な味が、環境の中で調えられ
それぞれが出会う前とは違う性質を纏ってゆく
人間もまた、まず出会うはずのない人に出会い
多かれ少なかれ出会う前とは違う性質を纏っていく
それは偶然なのだろうか
それとも『何者かの好み』に向かっているのだろうか?